「求同存異」への道 2011-4-15 15:21:44
「求同存異」への道 「求同存異」への道

9月26日に、和僑会の本多会長と一緒に長富宮飯店で行われた「2010年東アジアフォーラム」に出席させていただきました。会場には日中両国の専門家やメディア関係者、もしくは日本留学した後中国で成功した企業家達が集まっていました。
日中友好を願う気持ちが強いからこそ、この一日のフォーラムのために、日本から北は北海道大学の中国専門家の先生、南からは沖縄市の市長が遠いところから会場に駆けつけてきたのです。
今回のフォーラムはおそらく尖閣諸島漁船衝突事件が起こる前に予定されています。事件がなければ、話題はきっと別の問題になるはずですが、この特別な時期に、どうしても討論の中心は尖閣諸島漁船衝突事件に対する両国政府の姿勢、マスコミ報道の違いということになりました。それに関しては、両国のメディア関係者の間に意見の食い違いがありました。たとえ、双方は客観的な事実を報道しているつもりであっても、その事件に関わる背景、政府の対応に関わる背景への理解がないと、相手の国を責める態度ばかりを取ることになるでしょう。多くの場合はメディアの報道が国民の感情を煽る源にもなっています。事実が事実だとしてもその事実への理解こそは普段からいろいろな交流を通じて育つものです。その理解こそは日中両国の間では、政府レベルにおいても民間レベルにおいても欠けるものだとつくづく感じます。

会場のステージの上の看板には「沟通•理解•信頼―面向東亜一体化新時代」という大文字が書かれています。「沟通•理解•信頼」は英語で言うと、「communication•understanding•trust」ということですね。尖閣諸島漁船衝突事件で日中両国の関係は悪化して、これは平和で友好な日中関係を望むすべての人々にとっては見たくない局面です。心が痛むのは、両国政府の間ではいつもcommunicationに入る前には切れてしまい、その続きのステップのunderstandingとtrustから程遠いところでもう止まってしまうことです。
インターネットの普及では民間人の意見が強くなり、政府にもっと強硬的な姿勢をとってほしいという声が高くなるものでしょう。でも、それらの普通の民間人の反応と違っていて、今回のフォーラムの出席者の多くは長い間、日中関係の間の仕事に携わり、普段のコミュニケーションを通して、ある程度の理解と共通認識とがあるからこそ、みなさんからは同じ意見が聞こえました。それは相手の国の立場も理解して、もっと穏便な態度をとって欲しいということでした。私自身も日本で長く暮らし、日本に深い愛着を持ち、日本を自分の第二の故郷とは思っています。会場に集まってきた他の人達と同じ気持ちで、両国は平和的で友好な関係であることを切実に願っています。たとえ、何かの問題があるとしても、落ち着いてテーブルを挟んで会話から始めてほしいです。

領土問題と歴史問題が日中関係をもろいものにしてしまいます。何かの摩擦が起きる度に、過去の歴史問題が絡んで反日感情がついに政府レベルを超えて、全民動因になってしまいます。歴史問題、領土問題が存在するかぎり、日中両国の安定的な友好関係は望めないのでしょうか、私は個人的にはそう思いません。中国は周辺の多くの国との領土問題が存在しています。一般の中国人の認識の中では、東南アジアの多くの国々は現在南シナ海で採掘している石油は中国のものだ、ソ連の時代に占領した中国の広い領土はソ連の分裂によって、個別に周辺のいくつかの国と話さなければならないのです。もちろん、中国とロシアの間にも領土問題が存在しています。しかし、それにも関わらず中国とロシアはいま良好な関係であり、ロシアの大統領の二度目の訪中はここ数日ずっとテレビニュースで流されています。メドベージェフ大統領は胡錦濤主席と一緒にパイプラインの完成式に出席したほか、エネルギー協力の契約も結びました。中国はロシアにとって広い市場であり、ロシアの豊富な資源は中国にとって不可欠なものです。これはまさに「求同存異」(共通点を求め、異論を保留する)の一例です。
1972年田中角栄訪中のときに、田中前首相は「求同捨異」(共通点を求め、違う見方と意見を見捨てる)すべきだと言い出したが、当時の総理の周恩来は「求同捨異」ではなく、「求同存異」(共通点を求め、異論を保留する)すべきだと訂正しました。この「求同存異」は現在の中国の重要な外交方針の一つです。ただし、どうして日中問題になると、この方針はうまく機能せずに、いつもcommunicationに入る前にはもう切れてしまうのでしょうか。私の理解では、「求同存異」も「communication•understand•trust」からスタートするのです。communication によって、相手の立場も理解して、更に信頼関係が生まれてくるのです。

しかし、戦後の中国大陸と日本は長い間、交流の断層が存在し、たとえ、1972年国交回復してからも、民間交流は殆どなかった時間はまた長く続いていました。中国のことわざでは、『十年樹木、百年樹人』という言葉の通り、木を育てるには十年、人材を育成するには百年もかかると言うのです。日中両国の間では、政府レベルでも、民間でも両国のことがよく分かり、その架け橋となる人材が非常に少なく、もっと分りやすく言えば、両国の間のクッションとなる「知日派」と「知中派」が少ないのです。互いへの理解と認識が乏しいからこそ、何かが起きるとすぐ拒絶の姿勢をとり、それ以上問題解決に向けて会話を交わそうとしません。
中国大陸との関係に比べたら、日本は台湾ともっと安定で友好的な関係を持っています。日中戦争のときに、共産党のほかに、国民党も正面の戦場で日本と戦う主力でした。台北の記念館で、日中戦争のときに亡くなった多くの国民党の兵士達の位牌が祀られて、その位牌に刻まれている戦争の残酷さが人を慄然とさせるものです。過去の戦争にも関わらずに国民党は台湾に脱出してからずっと日本とは良好な関係を保っています。1972年にまで、日本と台湾は国交があり、交流が絶えませんでした。昔から国民党の政治家の中で日本へ留学した人が多く、日本には親密感を持っているのです。例えば、李登輝前大統領も京都大学の出身です。親近感というのは互いに持つもので、逆に言えば、現在の日本の政治家の中で親台派が多いのも事実です。

                                                                               

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