日中国交正常化40周年記念 2012-1-26 14:07:09

日中国交正常化40周年記念

 昨年末の野田総理と温家宝首相との会談で、日中国交正常化40周年のタイトルは「日中国民交流友好年」に、キャッチフレーズは「新たな出会い、心の絆」に決定しました。2012「日中国民交流友好年」実行委員会の委員長は米倉弘昌氏です。今後外務省は実行委員会と連携し,各事業・イベントの支援を行っていくことになります。

 外務省或いは在中国日本大使館では「2012年日中国交正常化40周年記念行事」の認定を受け付けています。各地和僑会の皆さんも是非ご検討下さい。

 北京和僑会は7月22日(日)に2012年日中国交正常化40周年記念行事の一貫として『日中夏祭り』を開催すべく、在中国日本大使館や北京の関係団体に提案書を出すことにしています。

 外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/jc40th/index.html
 認定を受けますと上記ページで紹介されているロゴマークとキャッチフレーズを使用することができます。
 

■ピンポン外交

 世界を驚かせた1971年の中米のピンポン外交は名古屋から始まった。1971年3月28日から4月7日まで名古屋で開催される第31回世界卓球選手権に、文化大革命以来2大会連続で不参加だった中国の卓球チームを当時の日本卓球協会会長、アジア卓球連盟会長、愛知工業大学学長だった後藤鉀二氏は地元名古屋での大会が実質世界一のものとするべく奔走し、関係者の尽力もあり毛沢東首席の参加承認を得たと言われている。
 世界大会の行われる愛知県体育館へ向う際にアメリカ代表の選手がバスを乗り間違えて中国選手団のバスに乗りみ、当時中国選手にはアメリカの選手とだけは接触していけないという鉄の規律があったが、中国のエースである荘則棟氏は参加前に周恩来総理から「友好第一、試合第二」という言葉を受けたことを思い出し「アメリカの選手と中国の人民は友だちです」と言って握手をしたという逸話が残っている。

■ニクソンショック

 1949年の中華人民共和国成立後、初めて米国人が中国を公式訪問したのがアメリカ卓球チームの中国への招待となり、その後大統領補佐官のキッシンジャー氏が内密に中国を訪問し、1972年2月にはニクソン大統領の中国訪問が実現した。
 名古屋のピンポン外交からスタートした中国とアメリカが国交を回復するまで中国と国交を持っていたのはわずか32カ国であったがその後1年の間に100カ国以上が中国と国交を結んだ。
 当時、この出来事を「ニクソンショック」と呼んだ。ニクソン大統領は1971年7月15日に中国訪問を発表、同年8月15日にドル紙幣と金との兌換停止を宣言し(ドルショック)、「2つのニクソンショック」とも言われた。

■周恩来首相のアドバイス

 2011年12月22日の産経ニュース『周恩来首相、日本に米中接近示唆 「日本取り残される」と国交正常化迫る』を見た。その記事によれば、ニクソン米大統領が中国訪問を突然宣言した1971年7月の「ニクソンショック」に先立ち、中国の周恩来首相が同年3月に面会した藤山愛一郎元外相に対し「米国は変わり身が早い」と事前に米中接近を示唆する発言をしていたことが22日公開の外交文書で分かった。
 1971年3月11日付の外務省極秘文書によると、藤山氏は直前に訪中、面会した周氏との会談内容を同省幹部に話した。周氏は会談で「台湾に深入りしているのは米国よりも、むしろ日本だ。今後、中国との関係では米国が先行して日本が取り残されるのではないか」と指摘。
 1971年3月17日付の極秘文書によると、周氏は同時期に訪中した日本側貿易関係者との会談でも同様の認識を伝えていた。
 米国は当時、水面下で中国との国交樹立を模索していたことが後に判明。周氏はこうした動きを念頭に日本にも早期の国交回復を促すシグナルを送る意図があったようだ。
 ニクソン大統領は1972年2月に訪中し、毛沢東主席と会談して米中の関係改善をうたった上海コミュニケを発表。ニクソン訪中を受け、佐藤氏の後任の田中角栄首相が1972年9月に訪中し、日中国交正常化を果たした。
(産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/111222/plc11122210560009-n1.htm

■周四原則

 1970年4月19日に松村謙三氏が日中覚書貿易交渉で訪中した際、周恩来首相が日中貿易継続の条件として示した4つの原則。

 中華人民共和国は下記に該当する企業との取引を拒否する。

1 中華民国および韓国を援助する企業
2 中華民国および韓国に投資をおこなっている企業
3 アメリカのベトナム戦争政策を援助する目的で兵器・弾薬などの軍事物資を供給している企業
4 アメリカ企業の子会社および合弁会社

 長崎国旗事件で日中関係が悪化し、陳毅副首相の日本との貿易中止声明によって貿易取り引きができなくなった後、国際貿易促進協会などが中国側に働きかけ、推薦を受けた日本側貿易会社との間に限定した取り引きが再開されるに至った。この時、推薦されて、中国側から了承された貿易会社が友好商社である。その後、追加指定をされた貿易会社もある。このような形態の限定的貿易は、1972年に日中国交正常化に至るまで続けられた。(参考:Wikipedia)

■最後に

 日中貿易が中断し再開するための条件が周四原則であったが、国交正常化へのアドバイスにしても日本が取り残されないよう配慮している周恩来首相の熱い思いやりを40年たった今も感じ取れる。

 

                                        北京和僑会会長 本多明弘
 

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